大貫のり夫

おおぬき 憲夫
日本共産党横浜市会議員
スクランブル交差点

シリーズ『あおば子育て事情』134  礎(いしぶみ)

2013年7月30日

シリーズ「あおば子育て事情」は江口 寛さんの文です。彼は30年来の私・大貫の友人です。私の市政ファイル396号からの転載です。

 「碑」は1969年に広島テレビが制作した番組で、建物疎開の勤労動員中に原爆で全滅した県立広島二中1年生322名の記録です。構成は松山善三。女優・杉村春子が、動員生徒たちの遺影の掲げられた室内で、遺族の証言や生徒らの最期を語る内容で、東京書籍版・中学1年国語教科書に採られています。次は、その一部です。

「出がけに頼んだ三輪車は来ず、焼けた電車の中で翌朝まで子どもを抱いて過ごし、朝になってもう一度三輪車を頼みに行って、ようやく家に連れて帰りました。非常に水を欲しがり、持っていった食べ物は、帰って食べると申しました。その後、うわごとを言うようになり、引っ張れとか、倒せとか、作業のことばかり口走って、9日午後2時半、息をひきとりました。」

「3日間苦しみ、B29をやっつけろ、勝て勝て日本と叫び、最後に、お母さんと言いながら死んでいったそうです。」

「長男の顔は赤く焼けてはれ、指も焼けただれて死んでおりました。わたしの着く寸前に息をひきとったのでしょう、ほおを流れた涙が、まだ乾いてなくて、朝日にきらりと光っていました。川土手に着いたとき、まだ5人生きていたのですが、見る間に4人が死に、1人は兵隊が担架にのせてどこかに連れていきました。」

暑い夏がやってきました。扇風機もない暑い教室で、生徒たちと「碑」のテープを聞き、峠三吉の「墓標」や「ちいさい子」を朗読した日のことを思い出します。(合掌)

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