大貫のり夫

おおぬき 憲夫
日本共産党横浜市会議員
スクランブル交差点

シリーズ『あおば子育て事情』140  惜別の歌

2013年10月28日

シリーズ「あおば子育て事情」は江口 寛さんの文です。彼は30年来の私・大貫の友人です。私の市政ファイル409号からの転載です。

10月21日は、70年前冷たい雨の中「学徒出陣」の式典が行われた日です。国民的歌謡『惜別の歌』は「学徒出陣」に関わって生まれたと聞いたことがあったので、ちょっと調べてみました。

遠き別れに たえかねて
この高楼に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣を ととのえよ

太平洋戦争が末期症状を示してきた昭和20年2月、作曲者の藤江英輔(中央大学予科在籍)は、勤労動員で陸軍造兵廠第三工場で働いていました。そこで、友人の中本が隣の旋盤で働いている女子学生から、島崎藤村の「高楼」の一節が書かれた紙片を渡させたと聞きます。
(藤村の原詩は、「我が友よ」が「我が姉よ」で、妹が嫁いでいく姉を見送り、姉がそれに答える形になっています。)

間もなく、藤江の仲間たちにも召集令状が届くようになり、藤江は何人か無言で送るしかありませんでした。そんな時、突きあげられるように詩とメロディーが浮かんできました。曲は口から口へ伝わり、音痴のくせに中本は真っ先に覚え、いつしか陸軍造兵廠第三工場から出陣する学徒兵を送る別れの歌となります。

そして、3月中本のもとにも召集令状が来ました。中本は、先哲の苦悩に満ちた「人生論」を書き写したノートを残して旅立ちます。

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